JK7USTの歩み

小学生時代は工作が好きでした。
 親に電子ブロックを買ってもらったのをきっかけに、radioへの興味
 が一気に深まりました。

 1976年にJR1YGL所沢市立向陽中学校無線部に入部しました。
 1977年秋に電信級、電話級アマチュア無線技師合格。年内に電
 信級の免許証がきたので、思い切って50MHzCWでCQを出しまし
 た。初交信は、JA1YOB川越高校ラジオ部で中学校の先輩でした。
 初交信ですっかり舞い上がってしまい、RST599と送ったつもりが、
 あとでYOBメンバーに聞いたらRST590だったらしく、しばらくその
 話題で盛り上がったそうです。

 そんな失敗もあったりして、CWは難しいというイメージが定着してし
 まい、その後の運用は99%電話になってしまいました。JK1RVL
 開局し、高校生の時に2アマをとりましたが、CWは試験に合格する
 ための道具でしかありませんでした。リグはTS-520Vでした。

 メインバンドは10m(28MHz)でした。
 2mの長さのロッドアンテナを秋葉原で買ってきて、それに50cmの
 ACコードを足して、即席のGPを作りました。GPは予想以上に飛びま
 したが、なかなかウラル山脈を越えるとが出来ませんでした。

 それで、なけなしの小遣いをはたいて買ったのがタニグチエンジニア
 リングのHB9CVでした。これはよく飛びました。GPと比べて信号強度
 が3つくらいアップしました。オーストラリアのノビス級のおじさんたちと
 100局以上交信し、オーストラリアが身近な国になりました。また、念
 願のウラル山脈を越え、ヨーロッパと交信できた記念すべきアンテナ
 でした。私がHB9CVはよく飛ぶアンテナだと思っているのは、このとき
 の経験があるからです。

 アンテナを建てたものの、ローテーターを買うお金がありませんでした。
 それで、アンテナを回すときは、4階建ての社宅の屋上まで駆け上り、
 支柱を手でグイッと回し、部屋まで駆け下りました。

 その後このアンテナは、ディレクターが1本ずつ増えていき、5エレメン
 トにまでなりました。今もあるかどうかわかりませんが、秋葉原の天野
 アルミ店で4mのパイプを買い、その場で切ってもらい電車に乗って所
 沢まで持ち帰りました。そして、社宅の屋上で切ったり、穴をあけたりし
 て、アンテナ工作を楽しみました。

 5エレになると、さすがに手回しでは大変になり、ローテーターを購入し
 ました。これでまた、世界ががらっと変わった感じがしました。
 アンテナを回すと、聞こえてくる局が次々変わっていくのです。これが
 ビームアンテナかと、一人で悦に入っていました。
 5エレはさすがによく飛び、Wの東海岸とロングパスで交信できました。
 もっとも、もらったレポートは41とか42でしたが。

 2アマに合格してから、14MHzのビームアンテナがほしくなり、TA-33jr
 を上げました。でも、メインバンドは相変わらず10m。比べちゃいけな
 いけれど、5エレモノバンダーと、3エレトライバンダーの違いは大きく、
 あまりの飛びの悪さにがっかりしました。もっとも、14MHzでのDXはDP
 に比べてよくなりました。

高校生で2アマに合格したものの、100Wにパワーアップするのに当時
は電監の検査が必要でした。それで、電力はそのままにして、14MHzを
使えるようにしました。
ただ、高校生には14MHzに出ているOMのラグチューは敷居が高く、あ
まり出る機会はありませんでした。

そうこうしているうちに、大学進学が決まり、家を離れ杜の都仙台へ行く
ことになりました。
大学の寮にGPを建てて6mに出てみたり、寮を離れてからはアパートに
HFのモービルホイップをつけてみたりしました。
そして、JK1RVLの免許が失効したのを機会に、JF7FSYを開局します。
大学在学中に、保証認定が100Wまでになり、6mでお世話になっていた関東
さんに保証人になっていただき、無事50Wにパワーアップできました。
10Wが50Wになったからといって、1mhモービルホイップではたいして飛び
の差はありませんでした。

就職に伴い、仙台から同じ県内の白石市へQSYすることになりました。
結婚するのを機に、市内の官舎に入り、ここの屋上に14MHz、21MHz
ディアルバンダーのHB9CVを上げました。
またしても、怖い!14MHzはあまり出ず、もっぱら21MHzに出ました。
21MHzはフルサイズで働くアンテナだったので、よく飛びました。
ちょうど前のサイクルの絶頂期で、夕方CQを出すとヨーロッパに次か
ら次へと呼ばれました。
TVIが怖いので、このころから徐々にCWの比率が高まっていきました。
また、古いコールサインを復活させることが出来るようになり、1エリア
に戻る当てがないにも関わらず、コールサインをJK1RVLに戻してしま
いました。

そして、長女が生まれるに伴い、名取の分譲マンションを終の棲家と決
めました。
それで、私がCWに目覚めたのは、アパマンハムになり、ベランダの釣り
 竿アンテナから細々と電波を出すようになってからのことです。SSBで
 いくら呼んでも答えてくれないDXが、CWであればコールバックがある
 ではありませんか。CWは飛ぶ、そのことに気づいてからというもの、
 交信局数の90%がCWとなりました。
2000年にFISTS CW CLUB(国際モールス保存協会)に入会し、
CWとのつきあいがますます広がった感じがします。
http://www.feacw.net/

固定局として1度は100Wを出してみたい。
そんなわけで、固定局JK7UST開局しました。
JK1RVLはHFモービルで活躍することになりました。
それは、アパマンハムのよくたどる道でもあります。
シャックの紹介のページで、我が家のオデッセイを紹介したいと思いま
す。
好きなときにQRVできるというのはいいものでした。
昼間、ベランダからアンテナを突き出すのは少々気が引けたのです。
一戸建ての住宅に住み、思う存分アンテナを上げたいと思ったのはこ
のころでした。

仙台市郊外の山の上に家を建てた今、次の目標はタワーの建設で
 す。そして、ビールを片手にCWでDXとラグチューすることが最終目標
 でしょうか。先は長いな・・・

ということですが、実は現在タワー建設作戦が進行中です。
新しいアンテナは14MHz、21MHzディアルバンド4エレHB9CV(また
HB9CV!)。そして7,10,18,24MHzのロータリーDPです。
在庫がないので10月になる予定でしたが、何とか8月ないし9月に
建てられそうです。
建柱の模様はHPに乗せる予定なので、興味がある人は秋にまた見に
来てください。

P.S. とうとう、10月にタワーが建ちました。
 詳しくは、タワー建設記をご覧下さい。

 73 CU AGN de JK7UST/Sugi  大杉博之


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